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多美 旅 京都府京丹後市

多美・旅 2015.12.24

京都と言えば山に囲まれた盆地、というイメージだ。
しかし、同じ京都府なのに、海に沈む夕日が美しく、海の幸に恵まれ、海岸線の奇岩などの景勝も楽しめる「もう一つの京都」があることを今回は紹介したい。
古代王国の遺跡に七人の姫の伝説。そして伝統の織物など時間軸をたどる旅にも出会える不思議の国、京丹後。
高速道路が伸び、京都や大阪からのアクセスも良くなった「海の京都」はいま カニを味わう人で賑わう時期を迎えた。

丹後の海京丹後市

京丹後市にはカニを食べさせる温泉旅館や料亭はたくさんあるが、11月6日の解禁から3月中頃まで、日帰りツアーに忘年会新年会を兼ねた団体旅行、家族旅行などブランドガニを求める人々がこの時期押し寄せる。
ズワイガニを当地では「松葉ガニ」と呼ぶ。丹後半島の沖合には海岸線近くで水深200メートルに達する海底地形があり、ここがカニの宝庫となっている。
港から2-3時間の漁場に小型船が出かけ、底曳きで日帰り戻ってくるから活きがいい。本物を示すタグがつけられて、旅館の食卓に乗る。
焼きガニ、かにすき、刺身・・。カニのフルコースはハレの宴会にふさわしい。
また、京都府内NO.1を誇る泉源は40を数え、200軒の温泉旅館やホテルは、旅行客を飲み込むに足る。
温泉で疲れを癒し絶品の蟹を食せば天女も天に帰るのを忘れて当然か…
カニだけではない。
久美浜湾で養殖されている牡蠣は砂州で日本海と隔てられプランクトンが豊富。ボリューム感がある大ぶりで味わいも濃厚。海のミルクという別称を実感できる。12月以降寒くなるほどうまみが増す。
もう一つ、地元の人に愛されているのが「ばらずし」だ。
祭りの日などに家族で食べるハレの食事が「ばらずし」で、サバをつかっているのが特徴。戦前は焼きサバが使われたが戦後はサバの缶詰が使われるようになった。ほかに錦糸玉子、紅ショウガ、かまぼこ、シイタケなどを彩りよく盛り付ける。地域により家庭により個性ある「ばらずし」があり、食堂、レストランでも観光客向けのメニューの定番だ。

カニ

一番のブランドと言われるのが「間人(たいざ)ガニ」。
丹後半島の間人港に揚がるズワイガニは浜値で一杯2万円以上することも多い。

地元でコッペと言われている雌の間人蟹。小さいが味が濃厚で卵と蟹味噌両方味わえると評判。値段は2,000円〜

久美浜

砂州により日本海と隔たれた周囲28キロの潟湖。美しい海岸線は四季を通じてレジャーの場として親しまれている。かぶと山展望台からの眺めは絶景。

琴引浜

砂の上を歩くと鳴き声のような音を発する砂から「鳴き砂」と呼ばれる。 石英質の砂浜が1、8キロの続く天然記念物の海岸線。

立岩

周囲1キロ、高さ20メートルの絶景。柱状節理の安山岩、直線的な荒々しさが特徴。冬の日本海の荒波が打ち寄せるさまは息を飲む。

ちりめんの里、丹後地方の絹織物の歴史は1300年前の奈良時代にさかのぼる。
聖武天皇への献上品といわれる絹織布が正倉院に残されている。
丹後は大和文化と出雲文化の交流地で早くから独自文化が開け、中国とも交流がさかんだった。
雨が多く湿度が高い気候風土から、乾燥を嫌う絹織物生産が盛んになった。
純白の繭から紡ぎ出される良質の生糸、それらが織りなす美しい布。
この芸術的生産品は、丹後の恵まれた環境と絹を慈しむ人々の手によって育まれてきた。
丹後ちりめんが産業として成熟したのは江戸時代である。
経糸(たていと)に撚(よ)りのない生糸、緯度(よこいと)に1メートルあたり3000回前後の強い撚りをかけた生糸を交互に織り込んで生地にする。
その後の「精錬」という作業により糸が収れんし、緯糸(よこいと)の撚りが戻り、生地全面に細かい凹凸状の「シボ」が出るのが丹後ちりめんの特徴だ。
近年は丹後ちりめんの技法を活かし、ポリエステル、レーヨンなどの繊維で織ったちりめん織物もつくられている。

織物

江戸から大正、昭和初期とちりめん産業で発展してきたこの地域は、当時をしのぶ街並みが残されている。今も1000工場が稼働し、木造の建物の外にまで機織り機の音は聞こえてくる。

食物の女神、豊受大神(とようけのおおかみ)がはじめてこの地で稲作をしたと伝えられる「月の輪田」や稲作に際し籾を浸したとされる「清水(せいすい)戸(ど)」といった伝説が残る。豊かな自然環境に恵まれた風土とこだわりの生産者により全国でも最高レベルの評価を得るコメが収穫されている。

サバヘシコ

脂ののったサバを米ぬかに漬け込み熟成させた丹後の伝統的保存食。 何とも言えない香りが食欲をそそる。

丹後の自然が育んだ良質のコメと、清らかな水を原料に江戸時代から続く蔵元が地酒の生産を守っている。

丹後王国、という言葉に歴史ロマンを感じる方も多いに違いない。
1300年前、存在したといわれており、近年、王国と呼ぶにふさわしい強大な権力者がいたと思わせる遺跡が数多く出土している。
あらためて地図を見ると丹後半島は、海の向こうの大陸と近く、しかも海流がながれ古代に交通至便な地であったと推測できる。
それを裏付けるような巨大な古墳があり、その副葬品は鉄器、ガラス玉、など豪華そのもの。その出土量は北部九州に次ぐといわれる。
近年、古墳群の麓に8基の製鉄炉が発掘された。古墳時代から平安時代にかけての製鉄複合遺跡で、古代の製鉄コンビナートでもいうべき大製鉄跡であったと考えられている。現在、埋め戻して保存し、京都府指定史跡となっている。

また風土記にはこの地に8人の天女が舞い降りたという伝説もあり、乙女神社はいまも美しい女の子が授かると多くの人々の信仰を集めている。

さらにカニで知られる間人(たいざ)には聖徳太子の母親で用明天皇の皇后である間人皇后(はしうどこうごう)の伝承が伝えられている。
廃仏、崇仏など仏教への立場の違いや皇位継承問題などで蘇我氏と物部氏が対立を深め争乱へと発展した際に、間人皇后は争いを避けるために聖徳太子とともにこの地に身を寄せたと伝えられている。
やがて大和の国に帰るときに皇后から「はしうど」の名前を賜ったが、口にするのも恐れ多いと考えた村人たちが御退座にちなんで間人を「たいざ」と読むことにしたとされる。

海の幸と美酒に酔い、宿で日本海の波音を聞いていると、いつしか時空をさまよい歴史の彼方を旅する気分になってくる。

聖徳太子

母と聖徳太子の像が日本海を眺めるようにたたずんでいる。

古墳

赤坂今井墳墓は2世紀末から3世紀初頭の国内最大級の大型墳墓。
ガラス勾玉、ガラス管玉、碧玉製管玉を三連に重ねた豪華な頭飾りが出土。

方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)
古代中国(魏)の年号青龍3年(235)が刻まれた鏡。
年号が刻まれた鏡としては最古。

泉源の数が府内No.1

露天風呂で温まりながら、日本海に沈む雄大な夕日を眺めたい。 宿泊しても日帰りでもいい。

弥栄あしぎぬ温泉

京丹後市弥栄町のレストランを備えた温泉施設

浅茂川温泉 静の里

遥かなる日本海を望む丘の上の絶景温泉。
屋内温水プールあり。

姫伝説を辿って神社歩き

児島神社

浦島太郎を祀る神社。
左遠方に浦島太郎と乙姫が初めて出会った福島がある。

静神社

優雅な舞が源義経に見初められ側室となった静御前を祀る神社

★奈具神社

羽衣天女が安住の地とした奈具に建つ神社

丹後七姫

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